日中戦争 「砲兵の日記」

(1937年6月3日~1940年1月7日)



日中戦争に従軍経験のある父が他界後、戦場で書かれた日記・随想が残されていました。
判読してみると、日中戦争が始まった当時の戦場のようすを伝える貴重な記録だったことが分かり、公開することにしました。
日記・随想は6分冊で、下の表の画像がそれぞれのpdfファイルにリンクしています。

★兵士の視点だけでは作戦全体の流れが分かりません。
  そこで、ネット上の 国立公文書館アジア歴史資料センターのサイトなどから、 陸軍関係の史料を引用して補足してあります。
  pdfファイル中の青字アンダーライン部分は、ネット上の元資料へのリンクです。
  なお、地図などの画像資料は、複数に分かれた画像を合成するなど、 元の史料を改変している場合があります。
  中国の地名の読み方は、主に「精選中国地名辞典」(塩 英哲著)によりました。
  これらの資料の作成・提供に係られた方々に感謝いたします。
  日記中には差別的な用語等もありますが、歴史資料としてそのままにしています。
  日記中の人名も、既に他界された方が多いと思われるため、実名によりました。

★ pdfファイルはサイズが大きいのでダウンロードに時間がかかる事があります。

戦場日記の一覧
日記分冊 pdfファイルへのリンク
日記A (1937.6.3~1937.10.13)
  • 日本領 朝鮮の兵営での訓練生活
  • 日中戦争勃発~北京郊外(南苑)での激闘
  • 河北省を南進
戦場日記A
日記B (1937.10.14~1937.11.20)
  • 山西省へ突入
  • 娘子関の激闘
(日記は残っていない)
日記C (1937.11.21~1938.3.15)
  • 山西省 中部での駐在
  • 戦場で迎える正月
  • 山西省を南進再開
日中戦争の戦場でのスケッチ_太谷・介休
日記D (1938.3.16~1938.5.16)
  • 山西省 曲沃まで南進~駐在
  • 延び切った補給路を絶たれる
  • 師団司令部への逆襲にあう
日中戦争の戦場での戦場スケッチ_候馬鎮
日記E (1938.7.1~1938.10.29)
  • 反攻開始~山西省を南進
  • 黄河に到達
  • 最前線での駐屯
日中戦争の戦場での戦場スケッチ_曲沃
思ひ出略記(1938.12.25~1939.4.30)
  • 戦場で2回目の正月
  • 山西省内の残敵掃蕩
  • (師団全体が復員)
日中戦争の戦場での戦場スケッチ_衛兵
日中戦争の随想
  • 南京の落城
  • 物品の徴発
  • 食物の欠乏
  • 支那人の日の丸
  • 敗戦国が反対ならば
  • 廃墟の街、ほか
日中戦争の戦場での戦場スケッチ_潞安
野砲兵第26連隊の関連資料
  • 外山秀松氏の回想録
  • 連隊慰霊碑
  • 戦友会「砲二六会」の記録

 

野砲兵第26連隊の慰霊碑
全体の合体版
  • (ファイルサイズが75MBあります)
戦場日記
おまけ
  • 「写真と地図、図面で見た龍山基地の歴史Ⅰ」という
    韓国の本を読むのにハングルの勉強を始めました
「全部入りカナダラ歌」
「ハングルの数字の読みかた」
日記ファイルの最終更新日
日記分冊 最終更新日
ホームページ本文・注釈2023/11/29
日記AのPDF2023/3/30
日記CのPDF2022/12/28
日記DのPDF2022/12/28
日記EのPDF2023/3/29
思ひ出略記のPDF2023/3/29
日中戦争の随想のPDF2022/12/28
野砲兵第26連隊の関連資料のPDF2022/12/28
他サイトの日記リンク2024/5/30

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